こんにちは、平成生まれの昭和ガールこと楓和かえでです!
本日は、昭和の美女を代表する中村晃子さんの力強い歌声が響く、虹色の湖という曲について紹介していきます。
平成生まれの視点でご紹介するので、詳しくはこちらを参照ください。
こちらの疑問を楓和かえでの視点でお伝えします。
- 虹色の湖が作られた背景をご紹介します
- 誰が歌っているのか、この曲のポイントをご紹介します。
- 楓和かえでがギターでカバーしてみました。
虹色の湖【中村晃子】の曲紹介をします
作詞:横井弘/作曲:小川寛興/編曲:森岡賢一郎
1967年10月10日に発売された中村晃子さんの7枚目のシングル曲です。
この曲は中村晃子さんのデビュー以来の初のヒット曲です。
売上は当時で累計80万枚です。
1968年の代19回の紅白歌合戦にも出場しています。
この曲はジャケットが2種類存在し、1つは赤い背景で中村晃子さんの顔がアップのもので指を加えて少女っぽさを感じます。もう一つは黒の背景で、全身が写っているものです。彼女のスタイルの良さがわかりますね。
また、オリジナル7インチシングル盤歌詞カードには、歌詞と共にメロディー譜も印字されていたそうです。今では珍しいですよね。
■カバー
この曲は系15名にカバーされており、CMソングにも起用されています。
徳永英明さん、坂本冬美さん、桑田佳祐さんなど。
中村晃子さんについて。この曲のポイントは?
歌い手
歌っているのは、歌手の中村晃子さんです。
千葉県出身で、1963年の高校2年生の時に、第2回ミス・エールフランスコンテストの準ミスに入選したことがきっかけとなり、松竹に入社し、映画デビューをしています。
当初は田村正和さんとコンビで売り出されるも、なかなかぱっとしない日々。
それでも数多くの映画に出演をする。
その後、1965年に『青い落葉』という曲でレコードデビューをします。
最初は女優さんとしてデビューして、その後歌手になっているのですね。
彼女の美貌は周りの人が放っておけないくらいの絶対的な美しさでした。
そしてこの虹色の湖をリリースしてヒットします。
当時はグループ・サウンズが全盛期でもあり、それをバックに女性ソロシンガーとして80万枚を売り上げました。
また、ミニスカートに、ミリタリーファッションで影響を与えました。
へそ出しルックも彼女のファッションの特徴であるため、NHKへのテレビ出演はなかなかできなかったようですが、1968年にはこの「虹色の湖」で出場を果たしています。
その後も歌手だけでなく、声優や女優として幅広く活動しています。
曲のポイント
■曲調
この曲はロ短調の曲で、少し濁った響きが特徴です。
メランコリックと表現されることもあります。
イントロからグループ・サウンズの演奏で曲の世界観に引き込みます。
3番までの構成で、転調などはありません。
サビではテンポに変化があます。
シンプルな楽器構成で、ギターのレトロな響きなどが特徴的ですね。
歌詞を引きたてる楽曲で素敵です。
2番と3番の間奏で、ギターのアルペジオでメロディーを奏でるのですが、これが何と言っても味わい深いのです。ぜひ聴いてみてほしいです。
■歌詞
幸せの湖があるという。自分の幸せを探しに、その湖に旅に出ることにする。
ふるさとの家族も、恋人もおいて旅に出ます。
幸せが住むという 虹色の湖
幸せに会いたくて 旅に出た私よ
あてもなく叫んでも、何も訪れません。
旅立つことを恋人に伝えた時、相手はうつむいてお別れが言えないでいます。
それも知っているけれど、振り向かずにふるさとの村を後にします。
さよならが言えないで うつむいたあの人
それなのに ただ独り
振り向きもしないで あてもなく呼びかけた 虹色の湖
本当の自分の幸せは、すごく身近なところにあったと、ようやく気付くのです。
しかし気づいたときには既に遅くて、失って初めて知るその大切さに涙します。
ふるさとの思い出を 噛み占める私よ
帰るにはおそすぎて あの人も遠くて
泣きながら呼んでいる まぼろしの湖
結局、湖はまぼろしで、幸せは自分の身近なところにあって、
それにようやく気づいた という内容ですね。
この曲は湖に例えていますが、現代でもこのようなことってありますよね。
そんなことを気づかせてくれる曲なのかもしれません。
歌詞の全文はこちらから!
楓和かえでがギターでカバーしてみました。
ギターで私なりにカバーしてみました!
ぜひ聴いてみてください!
最後に
いかがでしたでしょうか?
平成生まれの視点で中村晃子さんの虹色の湖を紹介してみました。
既に知っているという方も、はじめて知る方も、これを機にぜひこの曲に浸ってみてください。
そして、自分自身で感じたことを大事にしてください。
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