シンガーソングライターとして
私はシンガーソングライターとしても活動しています。
中学2年(14歳)の時に3ピースバンドのチャットモンチーに感化され、エレキギターを独学で始め、自分の書き溜めていた詩に曲をつけて、オリジナル曲を作成していました。
授業中もテスト中も頭の中は音楽でいっぱい。暇があれば歌詞を書き、ギターがあれば曲を作る日々でした。
授業中に歌詞を書いているわけで、ある日国語の授業で先生に歌詞を読み上げられる事件が起こります。
クラスのみんなに大きな声で自分の歌詞が朗読され、それはそれは恥ずかしかったです。
今となっては良き思い出。
その後バンドライフを経て、19歳の時にアコギでの弾き語りに転向し、ソロ活動を開始します。
※バンドではカバーがメインでしたが、私のオリジナル曲は昭和チックで、ガールズロックとは程遠かったらしく、いわゆる方向性の違いというもので解散に至ります。
活動はライブハウスがメインでしたが、路上ライブもやりたいと思っていました。
いざ、路上ライブへ!
そんなある日、人生初めての路上ライブに出向きます。
先輩のお姉さんと一緒に、商店街の一角に腰を据えてギターの準備をしていました。お店が閉まったシャッターの前を陣取りましたが、人影はまばらで、時々飲み会帰りのサラリーマンが歩いているだけでした。
新潟駅前で路上ライブをする人は多いのですが、私たちはそこから離れた商店街のモールの一角なので仕方がないです。時間は夜の22時。
人が少ないとはいえ、初めての路上ライブはやはり緊張します。
軽くギターを鳴らすだけで、モールの中に音色が響き渡ります。心臓がドキドキしました。
腹をくくって、自分の歌を披露するのですが・・・。
↓その時の図
新潟の夜は22時に終わる!!
段々気持ちが乗ってきて、時々立ち止まって聴いてくれる人もいて嬉しかったです。
ところが2、3曲歌った頃、遠くからパジャマ姿のおじさんがこちらに近づいてくるではありませんか。一瞬応援にきてくれたお客さんかと勘違いしたのも束の間、明らかに怖い形相をしています。
私たちの前に来て、
「おい!何時だと思っている!こっちはもう寝ているんだ。うるさくて眠れない。さっさと帰れ!!」
と怒鳴りつけてサンダルをパタパタ言わせて去っていきました。
私と先輩は呆気にとられて、一瞬言葉が出ません。
確かに夜に路上ライブをしてうるさくしたのは迷惑だったし、悪いことをしたと思いますが、何せまだ夜の22時ですよ!寝る時間は人それぞれなのも十分承知ですが、”新潟では路上ライブを22時台にできないのか・・”と悲しくなりました。
ドラマや映画の影響を受けていたのもありますが、あの”タイヨウのうた”でも主人公が夜中にキャンドルを灯して弾き語りをしていたではありませんか。
たった一度きりの経験で、早とちりかもしれないですが、その時決意したのです。
そうだ、上京しよう!
もっと自由に、沢山の人の前でライブをするんだ!と、なぜかその気持ちが沸き上がってきました。
結論、それがきっかけで上京することに
あの時の経験は私の中で良きものになりました。他人に怒鳴られて心臓がバクバクしましたが、東京で雨音薫のように路上ライブをするのだ!と思わせてくれた一コマでした。
以前から音楽をやるなら絶対に上京する!とは決めていたものの、背中を押してくれたのは紛れもない、あの怒鳴りつけてきたパジャマ姿のおじさんでした。感謝しています。
その後、大学卒業後無事に上京し、夢だった東京での路上ライブを成功させたのでした。
※東京での路上ライブは別記事で記載しているので、そちらもどうぞ。
最後に。
こんなに自分を正当化して書いてきましたが、路上ライブは時間と場所を守りましょう。
~そして路上ライブは一応届けを出さないと違法になる可能性があるので、注意が必要です~
音楽は人生を豊かにします!弾き語りをする側の視点で書いてみましたが、もし歌っている人を見かけたら、この記事を思い出して、優しい気持ちで立ち止まって頂けると嬉しいです。
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