おんな港町【八代亜紀】曲紹介

昭和歌謡曲紹介

こんにちは、平成生まれの昭和ガールこと楓和かえでです!

今回は、八代亜紀さんが渋く、かっこよく歌い上げる名曲、おんな港町という曲をご紹介します。

平成生まれの視点でご紹介するので、詳しくはこちらを参照ください。

  • おんな港町の曲ってどんな背景で作られたの?
  • 誰が歌っているの?
  • 歌詞の意味は?
  • 聴きどころなどあれば知りたい。
  • 実際に聴いてみたい。

こちらの

疑問を楓和かえでの視点でお伝えします。

▼記事の内容

  • おんな港町が作られた背景をご紹介します
  • 誰が歌っているのか、この曲のポイントをご紹介します。
  • 楓和かえでがギターでカバーしてみました。

おんな港町【八代亜紀】の曲紹介をします

作詞: 二条冬詩夫/作曲:伊藤雪彦/編曲:水谷竜緒

1977年2月5日に発売された、八代亜紀さん19枚目のシングル曲です。

元々は、南有二とフルセイルズさんの「おんなみなと町」のカバー曲でしたが、メロディーが若干異なります。

八代さんの曲は、長距離のトラック運転手から好評で、よくトラックに“八代亜紀”の文字を掲げて入れていたそうです。

特におんな港町を聴くと、走行している時に気分が上がって良いという逸話もあります。

トラック運転手の心を支えていたのですね。

また、この曲で紅白歌合戦のトリを務めています。

黒いドレスを着て、ティアラをのせた彼女はひときわ輝きを放っていました。

自信がみなぎり、おんな港町をとてもかっこよく歌い上げました。

ぜひ動画でも見てみてください!

作詞は、二条冬詩夫さんです。

八代亜紀さんの他に、浅丘ルリ子さんや石原裕次郎さんなどに歌詞を提供しています。

作曲は伊藤雪彦さんです。

多くの名曲を産んでおり、全日本カラオケ王座決定戦の第10回から第14回までに「伊藤雪彦賞」が設置されるほどでした。

二条さんと伊藤さんコンビは、さよなら故郷、盛り場の雨、長崎はみなと町 などの曲を作って八代さんに提供していました。

八代亜紀さんについて。この曲のポイントは?

歌い手

歌っているのは、演歌歌手の八代亜紀さんです。

演歌以外にも歌謡曲やジャズもこなし、幅広く活躍されています。

1971年にテイチクから“愛は死んでも”でデビューを果たします。

生まれは熊本県の八代市で、名前の由来はここからきています。

幼少期から父親の影響で浪曲を聴いて育ち、歌が好きになります。

歌唱コンクールにも出場し、歌手になることを目指します。

中学卒業後はバスガイドとして勤務していましたが、

15歳の時に父親の反対を押し切って上京し、銀座のクラブ歌手となります。

歌手になりたい熱い思いを信じて、15歳の少女がここまで行動力を起こせるのは本当にカッコイイです。

曲のポイント

■曲調

港を思い出す、カモメの鳴き声のような音色がイントロで使われています。

港町の潮の香りと哀愁が漂い、Aメロでは語り掛けるような歌い出しです。

サビで盛り上がり、休符を使って、聴く者を曲の物語の中により引き込んでいきます。

こぶしをきかせ、儚くも芯のある女性を表現し、聴くというよりは、味わうに近い曲になっています。

日本酒が進みそうです。

■歌詞

好き同士だった男女が、離れる物語で、女性目線で描かれています。

漁に出ていく男を見送る時に、今までの思い出やこらえきれない気持ちが溢れて、“別れ”を耐えている女。最後に交わす言葉も「それじゃさよなら」だけです。

漁に旅立つのと、自分からも離れていくことをうまく被せて表現しています。

あんな男と心から憎んでも 忘れたいのに忘れられない せついない恋よ

こんな場面があります。

離れてしまうことがこんなにも切ない、だからあんな男と憎めば少しは心が軽くなるのに。好きが故にそれができない。

恋愛をしていると、このような経験はありますよね。

漁師の男と、港で見送る女。

この両者は自分の弱さや甘さを、最後の別れでは出さす、ぐっと内側に秘めたまま終わる、何とも大人な別れ方ですね。

お互い、自分の気持ちをこらえている場面が歌詞にあります。

泣いちゃいけないとあわてて男が デッキで手をふった

の一文はぐっときますね。

 

歌詞の全文はこちらから!

楓和かえでがギターでカバーしてみました。

ギターで私なりにカバーしてみました!
ぜひ聴いてみてください!

最後に

いかがでしたでしょうか?

平成生まれの視点で八代亜紀さんのおんな港町を紹介してみました。

既に知っているという方も、はじめて知る方も、これを機にぜひこの曲に浸ってみてください。

そして、自分自身で感じたことを大事にしてください。

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